父母の事とポジティブな気持ちと持続すること

金曜日が震災の日だった。
下北沢の事務所にいて、ずいぶん揺れるなあとぼんやり思ってた。
すぐ後に津波のニュースがあって、これは大変だと思った。
その日の夜中、見た事もない映像と聞いた事もないニュースが、一杯。
いやんなるくらい一杯。
いままでの日常がすべて引きはがされた気分になった。
今まで普通だったことが全く普通でなくなり、昨日まで普通にあった街が突然、ガレキの山になった。


おう、忘れてた。
自分は無力なんだ。
結構、年とってきて、いつも「さんづけ」で呼ばれることに慣れたり、指示したり、仕切ったり、たまには社長とよべれてみたり、そんな暮らしの中で忘れてた。
圧倒的に無力だ。


僕は娘が二人いる。
遅くに出来た子なので、異様に可愛い。遅く出来たは関係ないか。
とにかく、娘の身になにかあったら、絶対にパパが守る、もう絶対に命に代えて守る、自分の命なんか投出しても守る、
なんて思ってたけど、
こんな災害には、そんな言葉も思いもなんの役にもたたない。物理的には屁の突っ張りにもならない。
「パパが守る」のパも言わないウチに守りたいもの全部、津波に飲み込まれちゃうよ。


でもなあ、でもね、
思いとか気持ちは残るような気がする。
物理的なものが全部流れても、気持ちだけは残ると思うんだ。
意識的にも無意識でも、僕らはいつも誰かの気持ちを引き継いで暮らしてる。今ともに時代を生きている人たちの気持ちにも影響うけて暮らしてる。
どんなに無力でも、役に立たなそうに見えても、気持ちは残ると思うんだ。

だから、明日からもポジティブな気持ちを持って、暮らしていこうと思います。
僕は、今この瞬間も、復興期もポジティブな気持ちでいる事が一番大事だと思います。


僕の実家は仙台で、両親は70後半もうすぐ80歳です。
幸いにして父母のいるところは、たいした被害は受けてませんでした。
母方の実家は石巻の漁師で完全に海の前、テレビでは「壊滅、壊滅」ってしつこく言われてるとこです。
なんだよ、あだ名みたいに連呼すんなよ。親戚たくさんいるのに。


心配で電話したら、
父は「いやぁ停電だから、ひさしぶりに石油ストーブだしたよ」とケロッとしてた。
炊事とか不自由してないかなぁって心配してたら
母は「カップヌードル生まれて初めて食べたけど、あれは手間かかんなくていいねぇ。お湯入れるだけで出来るんだぁ」とカラカラ笑ってた。
石巻の実家のことは連絡つかないから吉報も凶報もない。今わからない事を心配するなという。
僕は二人の子供で良かったなあと思った。二人に育てられてよかったなぁと心から思った。


なので、今度は僕の番だと思った。
土日の予定が全て吹っ飛んで家にいるしかない娘二人のために、
三茶の西友に行って、AKB48ドンジャラ買ったよ。
二人ともめっちゃくちゃ喜んだ。
土日中ずーっとやってたよ。
僕ですら、メンバーだいぶ覚えちゃったよ。
あと数十年後に、地震の記憶と同じようにドンジャラの記憶が残ってるといいなぁ。


僕は、そんなことでいんじゃないかなぁと思う。僕が今やるべき事はそういう事なんだと思う。
僕だって、この震災で苦しんでいる人の力になりたいと思う。今すぐ飛んでって役に立つなら、役に立ちたいと思う。
でも、僕は自衛隊でも赤十字でもない、原発の技術者でもない。なんの経験も方法もない。
ここでも無力だけど、でも出番はある。

今の僕が考えていることは、
ずーっと覚えてる事。別名「遅番主義」
今だけでなくて、復興には長い時間がかかる。そんときには出番あるかもなあと思う。
早番の人がくたびれたころに、選手交代でなにか出来るチャンスがあると思う。


それまでは、ポジティブな気持ちで
すぐに近くの人に接しよう。一番身近な人を小さいことで笑わせたり安心させたりしようと思う。
家族や会社の同僚や友達を。
それぞれがすぐ隣の人を安心させたら、隣の隣が繋がって、いつのまにか日本中
ってことも、まんざら夢想ではないと思うんだ。
ほんとに、まんざら夢想じゃないと思う。

地震はまだまだ続くね。だからまだまだ僕らも続けなきゃ。