坂田さん

坂田喜策さんが亡くなった。
まだ56歳だった。
月曜に知らせを受けた。
地震が金曜だったから、あー震災かと思ったが、そうではなくて腎不全だった。

おとといがお通夜で昨日が告別式。


僕らの世代にとっては憧れの人だった。
ラプソディーの前後、僕が夢中だった頃のRCのマネージャーで、
清志郎さんとは兄弟のように付き合ってた時期も長いと、聞いた。
GOTTA(ガッタ)!忌野清志郎 (角川文庫)
この本にも出てくるよ「サカボウ」って。
初めて会った時は怖かったなぁ。もうバリバリで、切れ者の匂いプンプン。

しばらくたってから、
僕らの仲間になった。

ライトエージェントって会社で
銀杏BOYZLOST IN TIMEのマネジメントをしていた。
特にLOST IN TIMEでは社長兼マネージャー。現場でも大活躍してた。

酒が好きで、赤ワインが大好きだったなぁ。
僕らには、気さくな酔っぱらいだった。
食べる事も、料理することも好きで、
花見では馬肉を取り寄せて振る舞ってくれた。
僕らの会社の社内報で料理の連載してたんだよ。
始まって第一回は、ダシの取り方。
えっ料理にいかないんだ、第一回はダシだけなんだって、
社員全員びびったよ。


ずいぶん前から透析うけておられた。
あんまり自分の事は言わない人だったんで、みんな知らなかったんじゃないかなあ。


お葬式にはとてもとても沢山の人がいらした。
沢山の人に沢山のお花。
僕ね、葬式の時にお花だすのって、そんなに意味あることかなぁとか思ってたんだ。なんか儀礼的だなぁとか、亡くなった本人は知る事が出来ないのになぁとか思ってたんだ。

でも坂田さんの親族の方は、すごく喜んでいらした。
喪主のお兄さんはその花の数を見ただけでも
「喜策はこんなに皆さんに愛されてたんですね」と嬉しそうだった。
お花は意味がある。

お花の数でも、参列した方々の人数でも、みんな驚いてた。
告別式の会場の人も和尚さんも驚いてた。
いやいや、地震でなければ、交通事情が平常であれば、もっともっと沢山の人が来たはずですよ、だって坂田さんなんだから。そう教えてあげたかったなぁ。


たまにしか会えない人にも会った。とってもひさしぶりの人にも会えた。
「ほうら、僕の葬式のおかげで、みんな話せてよかったでしょ」なんて言ってる坂田さん独特の茶目っ気ある笑顔を想像しちゃったよ。


僕らは最近外出しなくなった。わざわざ誰かを訪ねて話だけするなんて事もしなくなった。
この地震騒ぎの中、こんな風に沢山の人が、仕事や事情をほっぽりだして集まるのは、お葬式だからだなぁ。

正直に言って、
坂田さんのおかげで、沢山の人といっぱい喋れて、ずいぶんほっとした。
家にずっといて、テレビとパソコンばっか覗いてたら、ほんと体も心もおかしくなっちゃうよ。
町田の火葬場まで行った。火葬の間、坂田さんを知る人たちと待ってた。
待ってる時間に空を見た。
こんなのんびりした気持ちになったのはいつ以来だろう。
坂田さんの最後のプレゼントかなぁと思った。
みんな家にいないで外に出ろ、そして友達と話すといいよ、
そう坂田さんが言ってるような気がした。多分気のせいじゃないと思うんだ。
ありがとうございました。


ご冥福をお祈りします。合掌。