さてさて

以前ですね、仕事みたいにパチンコしてる時代があって、かなり熱心でした。
その後ですね、かなり必死になって競馬やってた時代もあって、毎週土日、全レース買ってて、これもかなり忙しかったっす。
それぞれ、2年とか3年とか続いたですね。もっとかな。
今はどうなのかと言うと、全くやってないです。
やるってモードに入るとかなり熱中してやるんですが、
ふっと力が抜けてみると、「あれっ、なんでそんなにムキになってやってたんだろ」とびっくりする事が多々ありますね。


パチンコとブログは一緒でないけど、
毎日やってるのが普通で、やってないと死んじゃうのではないかって勢いでやってたもんが、
なんかの都合でパタリと止まって、
「ん、やってなくても死なないじゃん」と当たり前の事に気づいたりしますなぁ。


なんつって、
言いたい事がなくなったワケでもさっぱりないんですが、
書きたいことはおそろしい程あるんですが、暇がなくて。


こないだね、ウチの両親に呼ばれて、仙台の近くの温泉に一泊旅行。秋保温泉ていうんですけどね。
娘たちの顔を見せるのが主なテーマで、それはそれは喜ばれて、
お爺ちゃんお婆ちゃん、モッシュ&ダイブ級のアッパーな歓喜ぐあいで、ずいぶんほっとしましたよ。
二泊しろってうるさかったんですけど、二泊すると小学校の始業式を欠席するハメになるんで、翌日帰る。
翌日帰って、いろいろとやりくりしてみたら、
なんとLOST IN TIMEのライブに行ける事になって、それ仙台の公演なんだけど、
一体自分は何やってんだろかなあと思いながら、帰ってすぐにまた仙台行きの新幹線に乗ったりしてましたね。
いえいえ、どうやったって、居残りは無理だったんですよ。
一旦東京に娘たちと荷物を届けてからでないといけないのでトンボ帰りは仕方ない。
仕方ないけど、なにかムーンと、あるいはむーんとしたのでした。


関係ないけど、今月の『音楽と人』面白かったなぁ。
VOLAアヒトくんの、人に会うのは緊張するけど、嫌いでない、むしろ会いたいってその感覚、すんごいワカルワカル。
むしろ会いたいんだよね、でも緊張すんだよね。
そういう感じってVOLAの感じに似てんなあと思って。
クロマニヨンズの人たちが、ほんとなんも気にしないでなんも考えてない様子で、ぽーんとただ答えてるのが面白かったなあ。
モーサムのインタビューで流れてる空気が親密そうだったり、なれ合い拒否して距離保ってるような感じもあったりして、
そんな微妙な空気が、これってとってもバンドっぽいと思った。
銀杏の峯田くんの「水鉄砲で火事を消す」って話が、あっそうかそこが根っこなんだって、そうなんだあと思ってかなり感動した。
というわけで、今月の『音楽と人』、僕すごく面白かったっす。


僕は小学校の時、近所のケンちゃんと集団登校でした。つっても二人なんだけど。なにしろ田舎だったもんで。
ケンちゃんは僕よりも三つぐらい下だったかなあ。
お父さんが個人タクシーの運転手で、そのころ、そこいらで個人タクシーやってる人つったら、そうとうなブルジョワだった。
そうだよ、
だって電話あったの、ケンちゃんちだけだったもん。あたりの家、きっと30件ぐらいがみんな、自ちの連絡先としてその人の家の電話番号書いてたんでないかな。
(呼)1234-56789 みたいな、そんな書き方があたりまえだった。
平成生まれの人、わかるかな?
電話のない家の人は近所の家の電話番号書いていいことになってたんだよ、昔は。
呼び出し電話つってたの。

いやいや、電話の話や個人タクシーの話がしたかったんでないのよ。
集団登校、ふたりだけの。
僕は年上だったので、僕なりにきっと気を遣ってたと思うんだよなあ。
小学校いくまでの道のり、なんやかやと年下のケンちゃんに話しかけてたはずなんだよなあ。

でもある日、ウチの母がケンちゃんに聞いたんだ。
「ウチの息子は通学の途中なにか話してる?」
「しゃべるときはずいぶん一杯しゃべってくれるけど、しゃべらないときは、全くなんにも話さない」
ケンちゃんがそう答えた光景を今でも鮮明に覚えてる。
自分では結構いつもコンスタントにちゃんと、ずっと話してたつもりだったんだけどなあ。
気のせいか。


とかいいつつ。
全然変わってない。変わってないね。