シーナ&ロケッツとリアルと物語と

先週の話になっちゃうけど、
QUEでシーナ&ロケッツ見た。
3デイズの三日目。
余談だけど、カタカナんときはシーナ&ザ ロケッツだと思ってたら、オフィシャルではザ抜きのシーナ&ロケッツだった。そういうトコがまた、イカしてる。細かい話で失礼。

ねえねえもう30年もやってんだよ。
でも、決して大物がやって来たでも、遠くの大先輩って感じでもなく、
単にひたすらカッコいいバンドだったなぁ。
なにしろ僕が東京に初めて出て来て、初めて見たライブが
忘れもしない、駒沢大学の学園祭で、
シーナ&ロケッツ vs RCサクセション だった。
あ、これ何回も言ってるんで食傷気味ね。81年だったかなぁ。
そんな昔にもう見てるんだぞって自慢話したいわけじゃなく、
30年近くたった今、また目の前でシーナ&ロケッツが見れちゃうって喜びを話したいんだ。
もちろん、僕らが心底あこがれた鮎川さんも60才超えて、
当たり前だよ、20代のままの訳がない。
でも、ほんとに目の前のシーナ&ロケッツはロックだったし、現役感なんて言葉使うのが失礼なほど、リアルだったんだよう。

ロックってさ、物語って重要だよね。ストーリ−っていってもいいけどさ。
ぼくらが、ジムモリソンやジョンレノンを語る時、曲の事やレコードの事だけを語っているわけではない。そこには必ず物語が含まれていると思うんだ。
どんなストーリーを持ってるかってことはとっても大事な事だと思う。

近年、解散するバンドや亡くなる方が多い。
そのたびにラジオが一日中そのアーティストの曲を流したり、特集本が出版されたり、CDが突然思ってもみないほど売れたりした。
それはそれで素敵な事だと思う。
でも、それは物語の最終章だ。
そっから先のページは書かれない。完結しちゃった。
とても残念だけど、最終章は最終章だ。
とても残念だけど。


もう一方、物語と同じくらい、ロックにはもう一つ、大事な言葉があると思うんだ。
リアルって言葉。
今目の前で起こっている事、自分の目の前で起こっている事を自分の体が感じている事。
それ、すごくロックじゃない。
だから僕は、今目の前にいるバンドを楽しみたい。
目の前のバンドと一緒に楽しみたい。
そしたら自分も、今まさに書かれている物語の中にいる事が出来る。
田舎から出て来たばっかりで大学1年生の僕は、駒沢大学でシーナ&ザ ロケッツとRCサクセションのストーリ−に入った。うん、思い込みだよ。勝手に入った。
あんとき、入ってよかったなぁと今でも思う。
いや、先週たまたまシーナ&ロケッツ見て、そんな事思い出しただけで、
どんなバンドの物語にも入っていいはず。
ベテランにも、昨日出た新人にだって、あてはまる。
モーサムだって、ラッドだって、バンプだって、dipだって黒猫だってなんだって、
今、やってる人、今目の前にいる人と物語をつくるのがいいんんでないかと思う。
と、そんなこと思うんだ。


追伸:ビールスカプセル最高だったす。