雑感
(注意。やたら長いけど、アーティストの話はいっちょもないです)
寒いなぁ。
帰りが深夜だった日にコンビニに寄る。
真っ暗な道にセブンイレブンの明かりだけ煌々と。
街路樹のケヤキとイチョウ。
やたら葉っぱを落としてる。
冬の風に吹かれ吹かれて右行ったり左行ったりする大量の落ち葉が、
アスファルトの上で、ただのゴミになってる。
土に還ることもなく、あっち吹かれてこっち吹かれて。
道路作ったのも人間で、木を植えたのも、アスファルトしいたのも、掃除の人を発注するのも、
掃除するのもやっぱり人間で。
炭カルのゴミ袋に詰められた落ち葉を積んだゴミ回収車も人間が動かす。
なんだか、とても大掛かりで無駄な事が目の前にあるような気がして来る。
とかいって、アスファルトに反対な訳でもない。
ぬかるみに靴を突っ込むのはいやな、ごく普通の都会に住む人でもある。
どっちなのよ。
今日はもう遅いけど、ちょっとだけお腹になにか入れた方が、すぐ眠れる気がして、
セブンイレブンでおにぎりを物色。
となりに立つ、同年配の男性。やっぱりおにぎりを物色。
この人は仕事帰りなんだろうか、これから家に帰るんだろうか、お疲れさま。
独身なんだろうか、結婚してんだろうか、これからご飯ですか、このおにぎりでいいんですか。
それだけでいいんですか。ゆでタマゴはいらないすか。
もう一回聞くけど、今日の最後のご飯がそのおにぎりでいいんですか。
なんて、勝手にかの男性を悲しみの人に見立て、勝手にいろいろ考える。
もっと僕が外交的ならば、その場で抱きしめてたかも。
要するに余計なお世話。
僕だって、向こうから見ればそう見えるかも。
きっとあの人は、アラブの王族とご飯食べた帰りで、ちょっとチープでなんか懐かしい味をちょこっとだけ、
探してたのかもよ。
なんだか役に立ちたいなぁ。
葉っぱの役にも、おにぎりの役にも、40男の役にも30女の役にも、
小さい子ども達の役にも立ちたいなぁ
そうもいかない。全部は無理だ。
出来る事しか無理。それにしても少ないような。
寒いね。
急に寒くなったからだろうけど、最近、訃報が多い。
直接の知りあいの人ではなく、その人のお父さんとかお母さんとか、そんな年齢の方々。
天寿をまっとうされた事を願いつつ。
うちの両親もどうしてるんだろか、気になる。
たまに電話すると「なんかあったのか」って、逆に不審がられる。
それぐらいで丁度いいのかな。
とにかく、健康にはくれぐれも。
子どもが危ない。そんな世の中はイヤだな。
でも、なってしまったみたいだ。
だいぶ気が重い。
僕も、ブログとかでは子どもの話をする気がしなくなってる。
どこで誰が見てるか分かんない。
年齢や性別を気軽に書いて、それがどこの誰に伝わるか分からない。名前調べるのなんて簡単でしょ、もう。
写真なんてもう全く考えられない。
100万人の人にとってはただの微笑ましい光景でも、
たった一つの邪悪な魂を呼び込んじゃったら、それでなにもかも終わるような。
ため息がでる。かなり重い時代なんだなあ。
一方では、自分の娘の写真を雑誌で連載してるカメラマンもいる。
彼はどうするんだろう。
誰かが本気になれば、今の時代、彼の自宅や、娘の名前や、学校の住所なんて簡単にたどり着けるんでないだろうか。
そんな中、彼はどうするんだろう。
おびえてばかりいないで、やるだけやるって言うだろうか。
それもいいね。
子どもが殺される時代に、目をそむけ、首をすくめて、蓋をしていくよりも、
あえて子どもの写真ばっかり出し続けて、子どもってこんなに素晴らしいもんなんだって、
世の中の全ての魂に訴えかけて行くって生き方も、きっと素敵なんだろう。
そういう行動がないと、この重い空気は変わんないかもね。
僕はどっちいくんだろうな。
まだ、わかんないや。
当分、ショックの中、縮こまってるだけだ。
こないだ、白昼夢を見たよ。
突然ビジョンが見えたんだ。オカルトっぽい話でないよ。
僕は家のテレビみてて、そのテレビは地上波も衛星波も、インターネットテレビも全部見えるんだ。
おじいちゃんでもおばあちゃんでも、なんの苦労もなくインターネットテレビを操作出来る、
すぐれたインターフェイスのリモコンあって。
パソコンのルールとか全くないよ。
キーボードやURLなんてもってのほか。
ほんとに簡単にテレビ。
地上波は健在だけど、そこは「結構お金かけたドラマがあります」って意味合いだけの場所になって、
他の情報の全てはネットTV。
無数にチャンネルあって、オンデマンドで、検索も縦横無尽。
ありすぎるけど、選択は容易でストレスなくて。
今日はこのアーティストのPVみたいなあって思ったら一発で検索できて表示されて。
もちろん映画もね。
なんて、夢想が突然やってきて、あんまりリアルなディティールだったんで、
「これは5年以内にきっと実現される事なんだ」って思い込んでしまった。
10年かもしんないけどね。
今でもねギャオとかねあるもんね。
あれがもっと増えて、もっと簡単だったら、流行るもんね。
便利だよね。
便利な事がいい事なのかどうかは分からない。
ソフトの制作者、アーティストにとって、ほんとにいいのかどうかは分からない。
ユーザーにとって、ほんとにいいのかどうか分からない。
仕事の知人と話してたら、iTUNEで音楽聞くようになったら、イントロ長いの駄目になったって話を聞いた。
iPODに入れてね、シャッフルで聞いたりするんだって。
そのスタイルで音楽聞く事に慣れて来ると、
Aメロ、Bメロ待つのがかったるい、いきなりサビ来い、
イントロ30秒なんて聞いてらんない、即とばして次曲、
そんなモードになるんだって。
その人が特殊な人なのかもね。でも僕は直感的に、そんな事もありそうだなって思ってしまった。
iTUNEの悪口言うつもりは毛頭ない。
あれは利便性が高く、時代が欲してるサービスだと思う。
その反対側には、アルバムを聞きたい人もいる。
アルバム通して聞く、たっぷりかけるその時間をなにより楽しみにしてる人もいる。
ヘッドホンでなく、さぞや名のあるアンプとスピーカーで聞くって楽しみ方もあるんだろう。
便利な事ばっかりいい訳じゃないよね。
でも、便利って便利だよね。
映画館で映画見る文化はまだまだあるよね。
ステレオでレコード聞く文化もね。
テレビってどうなるんだろね。
今ってCD全盛だけどさ、たかだか20年くらいの話だもんね。
僕が一番最初に音楽の仕事した頃は、やっぱビニールの時代で、
CDが出来ましたって言われて、プロダクションにはレコード会社からたった4枚渡されただけだったもん。
ビニール盤はね、100枚くらい渡されるんだよ。
でもCDは貴重だから4枚。僕ら全員で4枚。
そして、だれもCDプレイヤーもって無かったんで、誰も聞けなかった。
結局は事務所に、まるまる4枚残った。
こっからさきも、いろんなフォーマットが現れるだろうけど、中味が一番大事だって事は信じたい。
実は、フォーマットによって中味もかなり影響受けてるんだけど、
それでも、中味の方が大事なんだって信じたいなぁ。