雑感、雑話

子供たちが家にいると「そんなの関係ない」とか「オッパッピー」とかを連発されるので、
テレビでそれを見ていない僕ですら、認識してしまう。
それは小学校でも幼稚園でも事情は一緒で、全くテレビ見てない子でも、
クラスの中で流行っている言葉として、誰のモチネタなのかとか関係なく、
自分流の受け入れ方、使い方をするらしい。
恐るべき伝搬力。
ぱっと聞いてぱっと感じて、すぐに伝わる、そして次の人に伝えたくなるってのが
ヒットの条件の一つだろうなと思う。


違う話かもしんないけど、
この夏ライジングに行く為に飛行機にのった。
機内放送の演芸チャンネルを僕はとっても楽しみにしてる。
大体が落語2本、真ん中に漫才とか挟む構成になってる。
とっても楽しみにしてるのに、往復が同じ航空会社だと、番組が変わらず同じ物を二回聞かなくてはいけないのが、
いつも残念に思う。
なんとか、行きと帰りで番組を換えられないものか、結構簡単なはずで、ひと月分ずらせばいいだけなのに
などどいらぬ事考えるほど、落語を楽しみにしてるのだが、
今回はなんと、落語が消えていた。
漫才が3本だった。
もしかして、その月、八月だけのことかもしんないけど、その航空会社の事だけかもしんないけど、
かなりショックを受けた。
時代の趨勢なのだろうか。


これも別な話かもしんないけど、
最近の居酒屋での会話では必ず誰かが「ドM」で誰かが「ドS」。
そんな言葉つい最近の言葉じゃないかと思う。
その前はなんて呼ばれてたんだろう。
Mっ気とかSっ気とかは分からないでもないけれど
ドがつくSやMってほんとにそんなに沢山いるのか。そこまでいききった人々がそんなに多いのか。
居酒屋には一杯いるらしい。
簡単に分類しちゃう事は、分かりやすくする為に必要なのかもしれないけど、
「どちらでもないんだけど、SのようでやっぱりM寄り」とか、
「時にSで時にM、どっちかっていうとSなんだけど、そうとも言い切れない」
みたいな事のほうが、ホントの事に近づいてると思うし、そっちが好きだ。
分かりやすい事より分かりにくい事のほうにコクを感じる。
子供の時にダシのうまさなんて感じなかったとか
最近になって講談まで面白いと感じるとか、
あぁ、あんまり例えがうまくない。


別に漫才や一発ギャグが悪いと思ってるのではない。もちろん腹抱えて笑う瞬間も沢山あるんだし。
だけど、一人にならないと聞きたくないCDもある。たっぷりとゆったりとした時間がないと見たくない映画もある。
じっくり腰を落ち着けてじゃないと、伝わらないものもある。
どちらかというと、そんなモノたちが好きな自分としては、
どうしてもそっちに肩入れしたくなる。
仕事としても、そんな作品を残す手伝いがしたいと思う。出来ればそうしたいと思う。