昨日の続き

ちょっと追加みたいな補足みたいな、続きみたいな


意味があるって話なんだけど、
僕は意味とか信じるけど、全部は信じない。
出会い頭に交通事故に会ったり、身内が病気になったり、朝バナナですべったり、遠いとこで戦争があったり、
そんなこんな全部に意味があって、それが自分の内側から出てる事なんだって、
世界を抱え込んでしまってたら、とっても生きにくいので、
それはオススメしないっす。
でも、いくつかは信じてます。
ありとあらゆる事が起こるけど、大半は意味ない事で、
でも、その中に埋もれてるいくつかの出来事はとっても重要なメッセージをはらんでて、そんな事を見極められるようになりたいなあと思ってます。
砂浜でボーッとしてても、ほんのちょっとのキラっとした輝きが気になって、
よーく見てみたら砂金だった、みたいな、
本質を見極めれらる能力を磨きたいっす。
どうすりゃ磨けるのかは、試行錯誤中。

全部に意味はないっす。
でも、どれかにはあるんです。
全部引き受けずに、でも大事なとこは引き受けるのがいいんだと思います。


もう一個はオーラの話。
見えるとか見えないとか関係なく、
オーラってありますよね。別に、僕見えないですけどね、でも感じますよね。
なんかこう、カッコいいとか、威圧されるとか、日常であるでしょ、みなさん。
これ仕事の話なんだけど、オーラが厚いといいのかって、そうでもないんでないかなと思う瞬間があるんですよ。
やっぱ、売れてる人とか、いわゆる大物ってオーラあるんですよ。
でもね、それが好きかどうかは別。
すんごいんだけど、不動産屋風にすごいとか、あるもんね。それってアーティストに必要かな。
必要な人ももちろんいるけど、僕が好きになるアーティストに必要なオーラなだとは思わないんだ。
芸人さんとか、落語家の人のオーラも、独特だよなぁ。
ニコニコしててもね、なんか凄みがあって、
あれってなんだろ、多分、沢山の人を相手にする経験がそういうオーラにしてるんだろうなぁ。
よく言えば、人には影響されないで人に影響を与えるオーラだし、悪く言えば「人ずれ」しちゃってる。
人ずれしないと、やってらんないのかもね。
だから、なんかこう、言いたいのは、
デカいばっかがいんじゃないんだ
って事で、
ちっちゃくて繊細で枯れそうでな花でも、美しいもんは美しくて、
実は大輪のバラ100本より、そっちの方が心打ったりするんじゃないだろうかって、
そんな事をいつも思ってるんですよ。
ま、好みですけどね。
別にそんな好みも悪くないですよ。