割り切れない

昨日は風知空知。
だいぶ長い間一緒にやってたスタッフが田舎に帰ることになった。
数ヶ月前から決まってて、準備万端というわけでもなく、
ましてや結婚とかそんな目出度い方面でもなく、
実家からの要請もあって、帰ることになった。
大々的に送る会ってのも、なんだか彼に似合わない感じだったので、
身内でしんみり飲む会にしようと思ってたんだけど、沢山の人が来て、店が溢れてた。
「おととい知った」とか「さっき道ばたで知った」とかそんな人も大勢駆けつけてくれて、
何で知らせなんだと怒られたりした。
すいません。来てくれてうれしいです。


僕らの仕事ではライブにしてもリリースにしても、半年後とか1年後とか、そんな予定もたててるので、
この一ヶ月くらいで帰郷する事が決まったのは、かなり急な出来事の部類に入る。
やりかけで途中の仕事もあっただろうし、先々の計画もあったと思う。全然途中だ。
結婚で退社するって人もいる。
それはなんだか「型」としてキッパリしてる。準備も出来てる。
そんな分かりやすくなくても、一つの目処を立てて、全部でないけど一段落させてから退社するパターンも多い。
今回はそうでもなく。
彼も志半ばで、こっちも志半ばで、
別れる。
これをどう受け取ればいい。
もちろん、彼は僕らの想像を超える時間と密度の中で、考えに考えて結論だしたんだと思うんで、
それに文句はない。ないよ。
でも、自分の気持ちの落ち着きどころが分からずに、落ち着かない。割り切れない。


例えとしては適切でないだろうけど、
中学生の頃に出会った人、不幸にして事故にあって右足を失った人の話を思い出す。
事故から一週間くらいたっても、なんだか右足が痒いって言ってた。
無いはずなんだけど、そこが痒くて、付きそいの人にあるべき足のそこらあたり、シーツをがりがり音たててかいてもらうと落ち着いたって。
突然の喪失に人は馴れるわけもなく、
時間だけが解決の処方箋なんだろうか。
時間はそんなにえらいのか、だったら嫌いだ。


そんなに良い例えじゃなかった。
でもその会は、そんな空気も少し反映して、
語り合ってる人、泣いてる人、奇声を発してる人、怒ってる人、ぼーっとしてる人、
再会を約束して強ばった顔してる人、にこやかに送りだそうとしてる人
いろんな気分の人が交錯して、
非常に心に残った。
単に旅立ちを祝うわけでなく、晴れがましいわけでもなく、
なんだかそういう「一つの顔」でなくて、
いろんな顔がそこここにあって、
僕はこれはとってもホントの事だなと思った。
本気で泣いてる人のすぐ横に、本気で怒ってる人がいたり、
一つの言葉や感情では割り切れない、そういう事が、
ホントの現実なんだなと思った。
人間を感じた。生活を感じた。


何が言いたかったって言うと、いい会だったって言いたかった。
それは彼の歴史と人柄を表してると思う。
これからは、自分の居場所で頑張れ。
体の事でなくて、お互いに一回り大きくなってどっかで会おうよ。
また。