雪はまだまだ降り続けます

娘と一緒に風呂に入ってた。
今日はいい事があったらしく内緒話めかして「耳かして」という。
いいよいいよ、貸すよ、二人しかいなんだから小声で話す必要もないんだけど。
「今日ね、幼稚園でね、アサミ先生に褒められたの」
「なんで」
「劇の練習しててね、褒められたの。大きい声でよくできましたって」
あらま、そら嬉しいじゃない。
そうかそうか、そりゃ良かった、大きな声で台詞が言えたのか。
よっぽど先生の一言が嬉しかったんだろうな、先生ありがとう
「ホンバンの時、パパも来る?」
そりゃいくさ、当たり前だろう。
ところで、台詞はどんなの言うの
「ゆきは まだまだ ふりつづけます」
ふうん。それから?
「それからって何」
「次の台詞」
「ないよ、それだけ」
ないの?
あっそう。
一行か、うちの子は一行か。
聞いて悪かったかな。娘の顔を見てみるけど、別に悪い気はしてないみたい。
この中途半端な台詞は5行くらいのト書きで、5人で一行づつ言う割り台詞なんだろう。
最近の幼稚園では徒競走に順位つけないトコもある。
劇でもね、全員が公平に台詞言うように、完全に均等に割り振りするするトコもある。
そんなのヤだな。
人の世には公平はあってもいいいけど、悪平等はいらないんだ。
早く走れる子は一等でいい、主役になれる才能ある子は劇の主役でいいんだ。その方がいい。
聞いてみる。「もっと一杯セリフ言う子はいるの」
「いるよ。みまちゃんと、ゆかちゃんと、こうだいくんと、しょうちゃんと、」
あれれ、結構いるな
「たくみくんと、ありさちゃんと、れなちゃんと」なんだなんだもっといるのか、もう分かったので、言わなくていいよ。
やたら明るく答える彼女を見て、一瞬「しまった、聞いてもよかったんだろうか」と考えた自分を恥じる。
いいじゃない一行でも。いいじゃない元気に言えたんだから。
見にくからさ、元気に言えよ
「ゆきは まだまだ ふりつづけます」
幼稚園の教室は狭い。
劇の当日は前の方で見ようと、開門の2時間前から並ぶ人もいる。
別に笑わないよ、みんな自分の子供の大きな声を聞きに行けばいい。
大きな声どこでなくて、舞台でモジモジしだす子もいる。それも見にいけばいいじゃない。


子供が出来て良かったなと思う事の一つに
たった一行の台詞でも、とっても楽しみにして、とっても喜ぶのが親なんだなって知ったこと。
近所のコンビニの、地獄級にアイソ悪いあの娘も、
雨の日には必ずグズグズに濡らした新聞を配る彼も。
絶対お金を預けたくないと思わせる、最寄りの信用金庫の営業の人も、
みんな親がいて、たぶん小さいころはとっても可愛がられて、きっととっても可愛がれられて、
たった一行の台詞でも、自分の子供が元気に言うトコを、
あんたのお父さんとお母さんはとっても喜んで、誇りに思って、
たった一行でもなんでも、会社休んで見にいったりして。
そんな時代がみんなにあった。
早く走れなくても、
一杯のセリフ覚えらんなくても、
鼻垂らしてても、
例え、体臭がウンコ臭くても、
なんだっていい、親は無条件の愛情を注いでたんだよ。
大きくなっちゃったら、僕もあなたも忘れてるけど、お父さんとお母さんはいつもそんな目で、見てたんだよなあって、
親になって始めて気づいた。
最近だなあ。
親も含めて、大人なんてなんも関係ないって思ってる時代が長すぎたかもなぁ。
そう、遅ればせながら、最近になって気づいたの。ゴメン。遅かったけどありがたい。まだ間に合ってるかな。


だからね、見にいこうと思ってさ、
別にね、一行だっていいし、ただ突っ立ってるだけでもいいんだよ、
生まれた時は、ほんとになんにも出来なくて、ようここまで来たなあって、そんだけでもう。
僕もきっとそんな思いで見つめられてた頃もあっんだよなって事に感謝しつつ。
聞いてこようと思って。
どんな意味かはしらないけどさ、前後の脈絡いらないけどさ、
「ゆきは まだまだ ふりつづけます」って言ってるとこ見ようと思って。